じゃあそうしましょうよ

人に読まれる前提の言葉

物語

4月に森田剛くんの報道を見掛けた時は、さほどでもなかった。ただ巨大掲示板を見ていると、週刊誌の記事を元にファンが森田くんの相手を特定していて、そのファンの情熱が怖かった。相手の職業がスキャンダラスなこともあり、あっという間にスレッドは回り、それを見て別の女性誌が森田くんに突撃した。その際のやり取りが本当だったかどうかはわからない。ただ写真は本当だし、かなり深い付き合いになっていることだろうと思わせた。

その記事が出た後の大阪公演初日は集中力を欠いたものだった。

公演が終わり、V6の活動も何も無い時期、森田くんはあちこちで見掛けられた。主にツイッターでそれは知らされ、どんどん口汚く書かれるコメントが増えた。

それに影響されたのかも知れない。私の中で森田くんの物語がどんどん光を失っていくのを認めざるを得なかった。

 

2000年前後に書類送検された一件以来、森田くんの活動は少なくなり、私がV6を好きになった時、森田くんの個人仕事は演技者だけだった。「マシーン日記」の森田くんは私の目にかなり面白く映った。森田くんの舞台が見たくて、観に行く芝居のアンケートに森田くんの名前を書いて回った。そんなことをしていたら、一年半後、「荒神」が決まった。

そこからの森田くんと舞台の邂逅は素晴らしく、四本目の「金閣寺」でリンカーンセンターフェスティバルに呼ばれるまでになった。そんなのし上がっていく物語に私は熱狂し、どんどんV6と森田くんへの熱狂を深めていった。

ブログ全盛期になりツイッターがあっという間に広まり、検索で探さなくても同好の士を見つけることは簡単になった。いろんな人のいろんな意見を目にする。情報量の多さに溺れ、多数の人間の意見によって作られる物語に同意したりしなかったり、そんな毎日に疲弊していった。

私の森田くんの物語はいつ光を持たなくなったのだろう。お母さんのブログをチラ見した時だろうか、報道の記事を見た時か、その後あちこちでの目撃情報を知った時か。

私は私が描いていた森田くんの物語に寄りかかり過ぎたと自覚した時なのではないかと思う。私の人生の物語ではなく、他人の、芸能人の物語の先を求め過ぎたことに気付いた。

私の森田くんの物語は、私が信頼している演出家の舞台に立ち、舞台役者として立ち続けることだった。

 

立ち続けるということは、一度も膝をつかないということではない。

朝日のような夕日をつれて2014」を観て思ったこの言葉は、例えば10年後、私にどう響くのだろうか。