じゃあそうしましょうよ

人に読まれる前提の言葉

推敲と誤読

夏の間、詩の講座に通った。その中で教わったというか、気がついたことは、何度も書くことで推敲が進むことだった。

小説の推敲は何となく「こんな感じかな」という手応えみたいなものがあるが、詩は何をどう直したらよいか、寄るべきところがわからずに結局一筆書きのように書いては書いて書いていた。のが。

とにかく毎日最初から書いてみる。すると、ここを何となく変えたいというか、ここをもっとこうしたら、とか、言葉の順番や、詩の連の順番を変えてみたりとか、それはそれは手を入れるたびに発見がある。

まるでプリズムを回すと虹が出来るようだった。詩の虹。

誤読は、詩を読むことでそれでいいんだと思えるようになった。それも詩を書いているうちに誤読が楽しめるようになった。あまり意味に寄り添うよりも、語感や音で書いてみたい。書きたい。詩が楽しい。

高いノートに詩を書いて自分だけの詩集を作りたいという動機で書き始め、無事ノート一冊に詩を書いた。

詩の練習(推敲)ノートは三冊目。次の詩集ノートはどんなノートになるのか。